【愛の言葉】

作:yaya

「はー……」

マンションの廊下に自分のため息が響く。
年に一度の出版社のパーティーに出席し、今日一日「津雲青」としての仕事を終えた。メディア化した際の関係者も多く来るからと呼ばれて行ったが、堅苦しい服を着て、最低限の愛想笑いを浮かべて面白くもない話に相槌を打って……疲労困憊だ。
もうすぐあいつが待っている家に着く。普段ならそれだけでも気が楽になるのだが……今日は少し複雑な気分だった。

(俺がこの格好だと……やっぱり顔が緩むんだよな、あいつ)

パーティーやメディアの取材を受けるときは、スーツを着て髪もセットし、仕事用の顔を作る。そういう日は家で準備をしているときから視線を感じる。いつもより増しているその瞳の輝きに、俺が気付いてないとでも思っているのか……。

(見せかけの姿だってわかっているくせに……津雲青の何がいいんだか)

くだらないと思いつつも、自分が作り上げた姿に嫉妬する。ただ……この姿を見て高揚する気持ちをなるべく表に出さないように、あいつが抑えていることもわかっているし、俺のことを考えてそうしている様は健気でかわいいとも思う。

(面倒な性格だ……自分が嫌になるな)

ごちゃごちゃと考えているうちに、目の前には見慣れたドア。鍵を開ける音に気付いたのか、パタパタとスリッパの音が近づいてくる。
『おかえりなさい。お疲れさまです』
そう言って出迎えてくれるその笑顔に幸せを感じ、さっきまでのモヤモヤが吹き飛ぶ。単純だな、俺は……。

「関係者の相手ばかりでろくに食べられなかった……何かあるか? 腹が減った」

言うやいなや、『そう言うと思って、軽くですけど用意してありますよ』と笑う。
俺がどういう状態で帰ってくるか予想していたらしい。精神状態、疲労度、普段からいろいろ把握してくれている。細かいことにも気がつく女だ。きっと、そういうところが家政婦としても気に入られる部分なのだろう。

食事の準備のためにキッチンに向かおうとした彼女を引きとめ、その腕を引いてリビングへと向かう。そして、自分の手で髪をぐしゃぐしゃと乱し、「脱がしてくれ」とねだりながら彼女の身体を抱き締めた。
『服も脱げないほど、疲れちゃったんですか?』
「ああ、すごく疲れた……だから俺を甘やかせよ」
彼女は俺をソファに座らせると、ジャケットを脱がし、ネクタイを緩めていく。徐々に剥がされていく「津雲青」の装備。まるで、恋人の手で津雲青から九十九里碧に変えられていくようだ。

「……お前が好きだ」

部屋に漂う甘い雰囲気にあてられたのだろうか。気付いた時には、そんな言葉が口から出ていた。シャツのボタンを外す手が止まったかと思うと、目の前には驚いた顔があった。ほのかに赤らんでいくその顔に、思わず吹き出す。そういえば、面と向かってちゃんと言ったことはなかったかもしれない。
髪も崩し、スーツも脱いでいる今の俺はもう「津雲青」じゃない。今のは「九十九里碧」からの言葉だ。こいつはソレに対して顔を赤らめているのか……。

『あの、私も……です』

恥ずかしそうに呟いた目の前の存在に、愛おしさを感じる。少し前までは、“幸せ”がどういうものなのか想像できなかった。でも今は……じんわりと胸の奥にあたたかさが広がるのを感じ、「ああ、これが幸せか」と実感できる。

「聞こえないぞ。もう一度……ちゃんと、言ってくれ」

次回作、あらゆる愛の表現を駆使して幸せな物語を書いたら、世間はざわつくだろうか。

『好きです、あなたが』

何のひねりもない、ありふれた言葉。だが、そんな愛の言葉から始まる話も悪くない――。

FIN

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